やるだけやったら出たとこ勝負

言い訳の出ないところまでやってやりたい、と思う意識そこそこ系会社員の記録。

やらないこと、やること

自己責任って言葉に冷たさとか見放されを感じるから嫌に思うのかな。
手が動く分だけ今日も書く。

・やらないこと
これから実家の人たちに答え合わせをやりたい気持ちがある。
その時に「発達障害であるなら産まれてこなければよかった」ということは、差別の再生産になるから、やめたいね…やらないでおく。
出生まで否定しちゃうと自分が苦しいね。

産まれてくる子供のために、と解毒を選ぶ人もいるけれど私はやっぱり私だけのためだ…子を持つことは選べなかった。
キャリアのために、でいいのかな。いいよね。私が決めるんだから。

でもさあ虐待を受けるためにあの家に置かれてたんなら産まれてこなければよかったよなあ、生きててよかったの答え合わせはあの家の中にないだけ、ならいいんだけど…

・やること
母親に何かしら分からせられて屈服した父親は使えねえなあと思う、お前も虐待の加害者なのに都合の悪いことはすぐ忘れる。絶対に忘れないからな。
残りは母親とのコンタクト、弟とも。
忘れないぞ。見下されるために家に置かれたこと。意味もなくサンドバッグにされたこと。あの時なんで助けてくれなかったのか、なんで被害者である私に、お前が弱いからだと突き放せたのか。…私も他の人に、同じことしてるんだよなと暗い気持ちになる。
そう思うと生きててごめんなさい、って…
いや、ごめんなさいじゃなくて、自分の美点を育てていかなくちゃ。謙虚に。
こういうことを考えながら、自傷思考と戦っています。

発達障害の子の育児って、そうでない場合に比べてめちゃくちゃ大変らしく、その点においては「発達障害に生まれたこと」について謝罪は…必要かなあ。どうなんだろう。
母親からしたら、第一子が目も合わないしろくに寝ないなんて大変だっただろう。そこがまともじゃないって、しんどいだろうな…
でも私が生まれてきたこと自体は、多分、悪いことじゃなかったはずなんだ…結果として、望まれてなかったにしても。

あ、そうか、生まれてきたことについての肯定が欲しかったんだ。
実家にいたとき、私を産んでよかったかどうか聞いたときに、わからないって言われて、悲しかった。
しかし、産まれたこと、血縁があること、それが横並びでめでたかったり良いことであるわけないな。期待しすぎてたんだな。

これまでもこれからもずっと、自分が生きていることの肯定を求める旅であることだろう。
発達障害の平均寿命はそうでない場合より短いらしい。どこまで生きることができるのか。できればより多くの痕跡を残してやっていきたい。