やるだけやったら出たとこ勝負

言い訳の出ないところまでやってやりたい、と思う意識そこそこ系会社員の記録。

秋風、ノスタルジア

宝塚我が心の故郷とはよくいったものだが、いくら頻繁に足を運ぼうとも私の思う故郷はそこにはなくて、心の中にしかないのであった。

こうして何気なく出かけることがどれだけ贅沢か、どれだけ潤うことか。
馴染みの店とか、ずっと見ている風景とか、ささやかだけれど嬉しいものを、私は宝塚の街に詰め込んでいたのだと気づいた。

宝塚の街には思い出も多い。
私の母は、阪急宝塚線沿線にほど近い街で育ち、祖母や曾祖父が宝塚ファンであったことから母もまた然りであった。
思い出話の中で、母の生家の近くにタカラジェンヌが住んでいてチケットを取ってもらった、なんて話もあった。
幼い私を膝の上にのせ観劇した話、子供を産む前の観劇の話…
それを語るときの母はいきいきしていたね。

結婚して、子供が出来ると、劇場から遠ざかる。
子供が出来、手がかかり、正社員で勤められなくなると、また遠ざかる。
それでも、生協経由のチケットで(※お茶とお弁当付きだったり少し安かったりする)、小学生の私を劇場に連れていってくれた。
子供なりにお洒落して、行きの電車の切符を握りしめて劇場に向かうあのひとときは今でも忘れられないものだ。
観劇は贅沢なことだから、一度の観劇でなるべくたくさんの情報を得ようと集中して観ていたっけか。贅沢なのは今もだけれど…
宝塚は忘れさせてくれたり、思い出させてくれたりする。
歌劇の話をするとき、母は少女に戻っていた。世知辛く生きる人の顔が一瞬で綻ぶ、やはり愛と夢が売られているんだなと感心した。

 

恨み言は多くあれど、与えられたもので自分が有意義と感じたものに文句は言うまい。
幼少の頃より観劇の機会があり、教育と教養にお金と時間をかけてもらっていたことに感謝の念はある。(塾や習い事、休日の美術展や科学館など、義務の範囲を超えていたと思うので)
観劇を共有するには、母と私では解釈が違うところが少なくは無く、なるべく一緒に観る機会を減らしていったが…。
同じ演目を見たのに語り合うということが出来ず、申し訳なくもあったがお互いが傷つかないためだった。
せめて、母に、観劇友達がいればよかったのだけれど。
この辺りは「友達親子」の危うさを自覚してから意識的に線引きしていたところ。

 

まだ夏の日差しの中にも吹き込む秋風、宝塚の街とノスタルジア、戻れない過去と否定できないこと、自分は何を選んできたのか、自分は何が好きだったのか…たくさん思い出しては、また今度。

何も悲しいことはないのに涙が出るような思いで、宝塚の街を後にした。そんな日の記録。

(よかったら感想とか教えてもらえると嬉しいです、のマシュマロ置いておきます)

marshmallow-qa.com