やるだけやったら出たとこ勝負

言い訳の出ないところまでやってやりたい、と思う意識そこそこ系会社員の記録。

夏季休暇in(一人暮らし一周年の前々夜祭)

不調が煮詰まってダウンして休み、から始まる夏季休暇
(夏季休暇枠を今日に充てただけ)

警察に行って、住民票閲覧制限の支援措置の一筆をもらって、区役所に出して。
あと一年は、家族に所在がわからないまま暮らせるらしい。

うっすら、来年の延長は難しいのではないか、と考えている。
これは警察から言われたこともだし、自分自身の考えとして。
私を探す様子もない、父からの連絡しかない、あれだけ執拗に私を追い詰めていた(と私は感じていた)のに、あっけないものだ。

多分私はあの家庭にいないものになった。
「29年間、家族お疲れさまでした。またのご利用をお待ちしております。」みたいな。
そうやってそれぞれの道を歩いていけたらよかったね。

毒親と断罪し続けていた対象にもまた苦悩があるとかも薄々感じていた、でも私は断罪し、家族と認めないことを選んだ。
私と関わる暮らしに苦しんでいた家族は「血縁」「戸籍」を大きくとらえているように思ったし、私もまたそうだった。

血を分けたとか、兄弟なんだからとか、誰から生まれてきたかとか、もうよくないですか。いいよ。解散。

人生は何事もタイミングだという。
つながるのも、離れるのも、きっとそうだ。

家族としてはつながりすぎていて、心の距離は遠すぎた。
親子の役割、家族の連帯の前に一人の人で、私は私で他の誰でもなく、また他の誰も入り込めない。不可侵の存在であると、お互いに認めあえたなら、どれほどよかったか。

まあでも私が離れてそれがわかったんならいいよ(笑)みたいなとこある。何事も塞翁が馬なのでね。

…そして私もまた人が離れていく度に、自他の境界が曖昧であること、自分の未熟さ、甘えを実感する。悲しくなる。
もうこんな悲しい思いは嫌だと誓うも、そこからの回復ってずっと手探りで、やはりままならない。こうして不器用な生き方を続けていくのだろう。

今の私がこうなのは、誰のせいでもない、私の責任。
今の私がこうなのは、誰かのおかげ、私が頑張っただけじゃない。
自責out、他責out、感謝の気持ちを忘れずに、なるべくアサーティブな考えでやっていきたい。

関りは家族だけではない、世界は広い、未来は明るくできる。

やっていきましょう。

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