やるだけやったら出たとこ勝負

言い訳の出ないところまでやってやりたい、と思う意識そこそこ系会社員の記録。

できること、できないこととそれについての認識

自分が出来ないことに対して卑屈に振舞いがちだけど、自分が出来る・楽しんでいることに対しても卑屈に振舞う傾向があることを思い出した。
楽器演奏が趣味で、レッスンに通い始めて最初の2~3年は、相手が師匠であっても音を聞かれるのが怖くて思い切りのあるボリュームで演奏したり、表現することが難しく、今でも気を抜くとこそこそした音で演奏しがち。
聴かれるのが怖いんですよ。発表会の緊張ってその怖さもあると思うし、趣味であっても「自分なんかが」が前に出てるね。

委縮した音量で音を出すたびに、音の出し方とか飛ばし方とかを工夫して伝えてくれて、出来たら褒めてくれる師匠についているので楽しめているのだと思う。
趣味なんだし気楽にって言われるとちょっと嫌なんだけど(こだわり強いなあ)、趣味だからこそ自分なりに極めたくて、そこで「自分なんかが」が障壁となるのは良くないねえ。自意識過剰が悪いほうに働いている。

お化粧とか絵を描くのとか観劇の感想文とかもそうだな、「自分なんかが」にキュッと首を絞められる感じがある。その締めてくるものを振りほどいて、自由になった先に自分がいるんじゃないか。

できないことはたくさんあって、スポーツは自分がやるのはもちろん見るのも怖いし、それを好む人に何か問うのも気が引けるレベル。
何かやるたびにへたくそとか笑われたりしたの、根に持ってるんでしょうね。
人前ではラジオ体操すらやりたくないし、動いているところは見られたくない。スポーツが分かると…ちょっと世界が広がるんだろうか。でも、人と同じように楽しめるかわかんないから、やっぱり怖いな。(また人と同じようにとか言ってる)

高校の体育の授業で、確かテニスだったか、何もかも下手すぎて委縮して固まっていた私に淡々と教えてくれた子がいて。教えてくれたことにびっくりして、ガチガチに緊張しながらお礼言ったら、仲間に教えるのは当然のことだ、と返ってきたのが忘れられない。
恩着せがましくもなく、こちらを見下す様子もなく、不思議な感じがした。
もしかしたら、できないことで卑屈になることないのかもしれないねと今になって思う。

心をフラットに保ちたいが今は難しそうだから、無理になったときになんとか立て直す方法をいくつか持ちたい。すぐめそめそしたり熱出したりするけど…

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