断罪したいができないことと、自分の幸せをやる話。
弟が結婚するらしい。結婚相手と、弟と、両親で食事をしたそうだ。
その様子の写真が父から送られてきた。幸せそうな弟とお相手、よかった。
弟も同じ家庭で育っているけれど、機能不全家族とは捉えてないのかな、とか色々思うところはある。あるけれど、それはそれだ。私と同じ不幸を見ろとか地獄を見ろとか思わないけれど、幸せに生きててくれたらいい。
いや、まあ、思うところは本当にたくさんあるんだよ。あれだけ私を家族総出でいじめてきたけれど、でも、幸せそうだな、とか。
あの、やってきたことと、その人が得た幸せって、相関しないらしいですね。
悔しいですよ。
でも悔しさだけで自分の人生は回らないから、のみこんだり、目を逸らしたりしてじたばたやっていくしかない。
これ書くとフラッシュバックというのか、嫌なことを思い出すね。
なんだよ、死ねって言ってきてもいい笑顔してるね…幸せなんだね。
もう許す許さないとかじゃなくて、そもそも私は他人を誰一人として裁けないわけで、恨む心と睨む目つきを持ち合わせながら何でもない風を装って生きていくんだ。
好き嫌いじゃなくて、関わるか関わらないか。そんな簡単なことに気づけないまま生きてきた。好き嫌いで断罪するな、身を引くことは恥ずかしいことでも何でもなくて…
小学生のころ、正義感が強いとか弱い者いじめを許さないとか評価されていたのって別にいいことでも何でもなくて、ただその事象が発生していただけなんだなと思う。
まっすぐ生きていることって美徳でも何でもなくて、要領よく今にフォーカスできたり好かれる振る舞いが出来るほうがいいんじゃないか。でもそれだけじゃ、やっていけないから…
弟の幸せそうな写真を見た、自分は行方不明の姉だ、弟の幸せの邪魔になるんじゃないか、と希死念慮が降り切れた。
ごめんね、おめでとうと一緒に死にたくなる姉で。
私は過去に依らず私の幸せをやらねばならんね、約束だよ、自分は自分の味方でいようね、愛してくれる人たちを大切にしようね。
まともになれたかと一瞬思ったけど、まだまだ遠いなぁ。