やるだけやったら出たとこ勝負

言い訳の出ないところまでやってやりたい、と思う意識そこそこ系会社員の記録。

困っていることなど

雨降り、やる気が出なくてめそめそ泣いていて、Netflixで「ル・ポールのドラァグレース」見て、自分を愛せずに他人を愛せない、というシンプルな原点に返って今です。
人生がきついなとおもっても自分を愛したい。

供養がてらきついときに書いたものを載せます。

 

Twitterがいつから怖くなったんだろうなと思う、見るタイミングによっては怖くて泣いてしまう。何が怖いかというと、人の悪意や叩きに触れたときもそうなんだけど、自分自身が何かを叩く口実を見つけてしまった時だ。まだ何かを叩きたいという気持ちがあって、それは本当によくないことなのに叩きには快感があって、だからそっちに寄りそうになる。本当に怖い。
叩かれる前に自己防衛の側面もあるけど、お前らどうせこっちみて叩くんだろっていう被害妄想がきつい。被害「妄想」であってほしい、本物にならないでほしい。この自意識はどこから来たんだろうね。
チー牛とか言われるんかな、確かに口元は整ってないし垢ぬけないしな(せめて痩せよう)、属性で容姿をジャッジされるんかな、とか新しい言葉を見聞きするたびに悪いほうに考えてしまうな。実際は本当にそうなの?わからない。

このところは発達障害界隈をよく見るのだけれど、確かに私は自閉症スペクトラム障害の診断が降りているが、だからといってその界隈に染まらなければならないこともないよな、と思った。
何らかの界隈の内輪ノリに染まったほうがいいよみたいなのはやっぱりよく分からなくて、緩い連帯でやっていきましょう、くらいのもので。
発達界隈×モテ非モテ、男のほうが苦しいVS女のほうが苦しい(お前らはすぐにマウントとるなあ)、言語性IQと動作性IQどっちが高いほうがいい、発達処世術がどうの、などなど生きづらい話ばっかしたがるな、そもそもの暮らしが生きづらいからインターネットでもそうなるってのはまあわかる、見ちゃったらつらいものがある。見たのが悪いね。
結局はどこも地獄と孤独だよねという話。

リアル経由で出会う人々(会社の人とか)には発達障害のこと言ってないからか振舞いやすいところあるけれど、そうじゃない人たちの前、発達って伝えた相手の前だとどうにも甘えが出る感じがして自分が気持ち悪い。やっぱり隠し通しておいたほうがよかった。恥とまでは言わないが、人生で二度も発達の診断おりることもなかったんじゃないか?
一社目で昇給幅大きくて仕事ぶりを褒められていた時は何かの型にはまると強い発達の特性だったのだろう、そして鬱をやったときは曖昧な指示とゴールの分からない仕事の連続で失敗を続けて病んだのだろう、結局発達でしかないな解散。

普通に?クローズドで働いてて趣味があって一人暮らししてるけどそれが困ってないってことじゃなくて、困っていることがあるんだけどね。
ままならないね。

 

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