やるだけやったら出たとこ勝負

言い訳の出ないところまでやってやりたい、と思う意識そこそこ系会社員の記録。

暮らすこと馴染むこと適合すること、そしてまた暮らすこと

読んでみて「そっか~」という気持ちになった記事をシェア。私の血縁家族の話もあるよ。

medical.jiji.com

時事メディカルのツイートにぶら下がってるリプライで発電できたらエコだよね~と思う程度には目が滑るのですが、えてしてこの手の話題にはそういうリプがセットだよねと言うことでそれはさておき。

2018年の記事が今になってツイートされているので、多少違和感はあるだろうと見込んでたけど、「早期にリハビリ」と書かれてしまうとちょっと気持ちが追い付かないね。

リハビリという表現も悪くはないし、周りになじんで暮らすとか、SST(ソーシャルスキルレーニング、社会での生きていきスキルを身につける訓練)を受けてやっていきを覚えるとか合う人には合うんだけど、

問題は、この表現を当事者とかその周辺の人が見て「リハビリが必要な障害」「治さなければならない」と、悲しい方向や自責の方向に思ってしまうことかなあ。
そして、なんで発達障害なんだろう…てなるやつ。
生まれつきの脳機能の障害までは分かってるけどそのほかははっきりしないし、環境からアスペになるとかもよくわかんないし、自責も他責もちょっと控えたほうがしんどくならないよう、って思います。

リハビリにSSTとかTEACCHとか入るんだろうなあ、お子さんが発達障害で、かつ勉強熱心な親御さんならなおさら。うちの家庭ですが!
でもリハビリして早期回復!とかで「普通」を押し付けちゃうと、それもそれで二次障害のトリガーとなるので、なんだろう、どうやったら本人も周りも生きやすくなるんだろう。SSTやTEACCHで習得したことが、周りと共生する上での選択肢の一つとなり得るのだろう。

私自身は小学生の折にASDの診断を受けてから、特に専門的な訓練を受けたわけでもなく放置されて今までやってきたのだけど、一社目で二度鬱になったりしたので実は何かしらの訓練が必要な側だったのだと思う。今自力で認知行動療法的なものをやったり、アサーショントレーニングに取り組んだりしているのは、身につかなかった社会性を補うためでもあり、なんとか円滑に暮らしたいという思いからでもあり。
小学生のころは、あなたの特性はヴィヴィッドなものだから!と説いたり、発達障害の小学生ならではの文章を書かないかとかいう大人が寄って来たりしたのですが。私の個性とか特性ってなんだろうねーという感じ。

弟はLDとADHDと言われていて、対人関係も円滑でなかったので(よく人を叩いたり喧嘩になっては親が呼び出されていた)、SSTやTEACCHでなんとかまともに育て上げようという親の姿勢だったね。学力的にも、対人関係も、低いほうがなんとかしないとって思われるのか。わからん。

でも目に見えて友達付き合いがあって結果成人してから「人並み」「まとも」と家族からみなされたのは弟で、「おかしい」「社会性がない」「友達がいない」と言われたのは私。あっこれもしかして支援と特性の話に繋がる?つらすぎん?結局は周りの適切な支援があればどんな子供でもいかせるのです!みたいな。わらう。

小学生のころは精神年齢が高いとか大人びてるとか言われてた私ですが、今はかえって周りより幼く思えてちょっと…心がキュッとなる。
言語性IQが110くらいで動作性IQが90くらいだったかな、開きが大きいほど困るよって言われてたけどまあそれはそう。

生まれつきの脳機能がアレでやっぱり今ちょっとずつ困ってたり、埋めないとなあって思うことたくさんある、でもそれは、大人の発達障害の場合、本人が自覚し望んでこその「埋める」であり。物心つかないうちしか、リハビリや訓練の形でなんとかやっていきのテンプレを覚えさせる手段は使えないっぽいな。

生きていくこと暮らすこと、周りに馴染むこと環境に適合すること、その上でまた自分の暮らしをやること、ちょっとだけ、簡単ではないっぽいよ。
でも、やっていこうね、約束だよ。

ところでこういう発達障害のお話、どれくらいの人に読んでいただいているのかしら。当事者の方、支援者の方、あんま関係ないけど私のブログ好きな方、などなどかな。
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