やるだけやったら出たとこ勝負

言い訳の出ないところまでやってやりたい、と思う意識そこそこ系会社員の記録。

フラワーデモに寄せて

どんな状況であれ、毎月11日はくる、フラワーデモに心を寄せる日は来る。

 

私はいかなるときも性暴力に反対し、性被害への救済を求めます。

また、難しいことは承知で…性暴力加害者が法で裁かれる、何らかの処置を受ける際に、再犯防止プログラムも取り入れてはもらえないだろうか…と思います。

「悪いことをしたと分からせる」のもそうだし、「なぜそれが裁かれることなのか」を理解しない限り、再犯リスクはずっとあるんですよね。

性欲ではない、認知の歪みから生じる犯罪について精神論でねじ伏せることがまかり通っていた、そして性欲ベースでの加害だという理解は今も消えない。令和だぞってなるね。

斉藤章佳著「男が痴漢になる理由」など、加害者心理について書かれた本を読むにつれ、性暴力は根深い問題で、痴漢神話・性暴力神話が消えないのは正しく知ろうとしないこと、ケアがなされないことにもあるのではないかな。ケアにはコストがかかるからね…
でもそれで終わってはいけない、性暴力の根絶と性被害への救済をそこで思考停止してはいけない。

今の自分が出来ることはテキストに書いて残すこと、性暴力反対の声を上げることなのでしょう。力が足りない感じがして少し悔しい、でも今の自分が出来る一番のことだ。

黙ることは解決ではない、黙らされることで解決させたことになる世の中は変えねばならないよ。
声を上げられる人は声を上げて、しんどいな…って人は無理しないで(そういう人にも寄り添う手とまなざしを持ちたい)、世の中を変えていこうね、約束だよ。

 ここで私自身のことも書いておこうか。

血縁と親族、学生になってからは教員からの性暴力と嫌がらせ、そして母親からの「そんな目にあうお前が悪い」というセカンドレイプ、何も信じられなくなったあの頃…それと比べると今の私は確かに幸せで、だから「わざわざ過去を思い出さなくても?」「明るくない活動をやらなくてもいいじゃない」と思われちゃうかもしれない。

今日の文章を書くために、思い出してはつらくなりすぎるのを思いとどまり、何を書けばまた怖い目にあわずに済むのか、そしてこの文章をオンラインに流すということは見る人を選べないんだよな…と思うと怖くて手を動かせなくなって、でも今伝えたいこと、声をあげたいことは確かにあってそれがフラワーデモなのです。

自分が性被害にあっていたということ、セカンドレイプがあったということ、自覚してからその先がとてもとても辛くて、だから目を背けたい人の気持ちも分からんでもない。
辛いよね、言ってもどんなリアクション来るか分からないし、「そんなことは忘れて幸せに生きて」なんて言われると今抱える苦しみは大したことないんだろうか…って思うよね。
自分の抱える苦しみとその付き合い方は自分で決めるものだよ。人の言葉なんて最終的には意味ない。自分で決めるものだから。

生きていくのは怖いことも多く、特にこの時代は何を目にするのが正解かわからない。
見れなくなったものはたくさんある、そんな自分を否定せず、発信していきたいと思う。