やるだけやったら出たとこ勝負

言い訳の出ないところまでやってやりたい、と思う意識そこそこ系会社員の記録。

見た目のこと

このマシュマロを頂いて以来、ぽつぽつ実家にいたときのこととか振り返っては書き綴っています。
思い出すたびに、あれ私もう実家にいない…?みたいな気持ちになるので、物理で実家から離れても気持ちの上で実家を離れていないみたいな不思議なことが起こっています。
所謂毒親との距離って、物理で距離置いたら終わりに見えるけどそうでもないっぽいね。これに悩んでいる人はそこそこいるんじゃないかな、どうだろう。

さて今日は見た目のお話。

要約すると、29年間家族に見た目を否定され続けて生きてきて何が正解か分からなくて、そしていざ変わろうとしても二言目には「親を家族を見返したい」そして思考停止していた。

いやもう自分の健康のために食事記録したり運動してます、でいいじゃんって今は思うんだけど、家族の呪いをどうにか手放せない限り厳しいものがあるね。

忘れるじゃなくて手放すがポイントで、これは結構意識的にやらないと戻ってします。
何か思い詰めるor思いつく→これは本当に自分が考えたことなのか?と思いとどまる、俯瞰する、の繰り返し。
自分が自分のために思ったことなのか、誰かに言われたことなのかの区別をメタ認知的につけていくのが必要と思われます。メタ認知の話やたらするな。

はたから見れば、親のせいにするな!とか周りのせいにするな!みたいなことでも、当事者にとってはそうは思えていないってことわりとあって、こういうのが自閉症スペクトラム障害かつ毒親育ち…というか家庭との相性が良くなかった人の認知の特徴だと思います。

親から言われた言葉が刺さって地味な装いしかできないとか、メイクするのが怖いとかあるよね。
私の場合は何着てもどんな靴をはいてもどんなメイクでも批判される(母親からの批判ですが、なぜか「お父さんが最近派手になったと言っていた」などの父親からの伝聞の形をとっていた)、見つからないように着ても洗濯するときにやっぱりばれるみたいなもので、だんだん服選ぶのが怖い気持ちVSでも好きなの着たい、みたいになってて。よくわからなかった。

まあでも、好きな服着て、好きなメイクして、自分の健康のために食べて動いて、幸せに暮らそうよ。って自分に言い聞かせる。これから先自分のために生きる人生のほうが長くなるのだから。