やるだけやったら出たとこ勝負

言い訳の出ないところまでやってやりたい、と思う意識そこそこ系会社員の記録。

いないものがいた話

仮想敵と言いますか、いないものと戦っていた時間は案外長いものでした。

ふと給与明細見て昇給幅計算したら、思ったよりも少なくて、色々思うところある会社員六年目です。
自分の落ち度、自分ひとりすら満足させてやれない不甲斐なさ、会社について思うところないわけじゃないけれど、自分がやってることはお金に反映されなかったんだなと認識することは予想以上にしんどいことで、どうしたものかね…と少しの夜更かしと不摂生で今に至る。

ある人は、
良かったねいま気づけて、まだまだ伸びしろがあるよ、と冷静に言う。
ある人は、
つらいなあ、気の毒になあ、ここまでようやってきたなあ…と寄り添う。
ある人は、
取り敢えず食べて寝たら…とアドバイス
ある人は、
楽しいこと考えよう?既に入れてる予定のこととか、欲しいもののこととか!と励ましてくれる。

これ全部自分から自分への言葉なのですけど、救いは、誰も責めたりしてないこと。
自分で自分を責めるときは、かけた期待が反映されなかったことに起因するもので、そう思うと今の事象と気持ちとにかける期待と行動がある意味適当なものであったのかなと思います。
…まー向上心から逃げて仕事してたらそうなるわねって感じ。


その昔、そんなに遠くない昔には、いない敵がおりまして。自分のことをボロクソに吊し上げて起き上がれないくらいに扱って一人前、と思っている、敵がいたようで。
誰かが自分のことそうやって吊し上げるに違いないと思っていたから、その適は「存在する」と見做されていたし、近くにいないなら代わりに自分がやっておかないと、という使命感すらありました。

また、私の友達には、私よりも努力して結果を出している人が多くいるのですが、どうやら、そうした人たちは私みたいな結果出せないようなのは見下されるのではないかと懸念していました。
実際はそんなことなくて、というか付き合う際に仕事の出来は加味されないようで、それどころか彼ら彼女らもいっぱい悩んで、行動して、失敗して、でもそこからまた踏み出して生きていたと解り、見下されるのではないかと思っていたのは、「いない敵」だったのだと、思い知るのでした。

いない敵は、いることにしたほうが「敵がこう言ってるから戦わなきゃ」と理由が作れるのだけど、「敵がいるから戦う」のではなくて「自分がなりたいものがある」からやっていく、なのに鬱屈すればするほど、何になりたいかはわからないけど敵はいるし嫌われたくないしみくだされたくないし、みたいなのが溜まって結局ブレる一方。

たぶん10年位、そんな感じだったんだな。
家族のこと(主に、愛されてこなかったのでは、の気持ち)、学歴コンプレックス、所謂「普通」と違うと感じるあれこれ、仕事ができないこと、勉強が追いつかないこと…
それはそれとして、やっていきましょうよ。
間違った方向でやってたと気づいたらそこから修正かけたら良くて、やり続けなきゃ、現状維持をやめなきゃ、何にもならないんだから。

かくて「いないもの」は「いた」存在になり、やっぱり「いない」になる。
自分が満足するかどうかと、ひとからの評価でバランスとって、明日もやっていくよ。