やるだけやったら出たとこ勝負

言い訳の出ないところまでやってやりたい、と思う意識そこそこ系会社員の記録。

養子ならば、と思う気持ちの分析。

Twitterでたびたび、養子をむかえるのはしてみたいかな~と軽く発言しているのですが、その話を。
世の中の「普通」とは違う話ですし、我儘で傲慢だと思われるのは承知の上で書いています。

 

身体が女性、性自認が女性、恋愛対象は男性ということで、普通に結婚して出産するルートを想像されがちなのですが、出産は別にしたくないかなあと思って気持ちでこの歳まで生きてきました。
そう思うのは、出産に際しての身体的負荷と、働くことにアイデンティティおいているのでキャリアダウンへの懸念、趣味への影響、というかそんなに他人のために生きたり自己犠牲できないなあ…というところからです。あとはアセクシャル(非性愛寄り)を自認していることもまあ関係あるか。あ、子供は好きでも嫌いでもないけど、可愛いとはそんなに思わないかな…今のところは。

身体的負荷については、婦人科系疾患にかかった時に、これ以上身体がしんどい中生きていくのって不合理では、というくらいに気落ちしました。
それを乗り越えてしたいことでもない、と言ってしまうと身も蓋もないか。

そして、自分が仕事でどれだけ求められているかはさておき、キャリアダウンして稼げなくなると自由度が減るのはしんどいと思ってしまうんですよ、いくら手当が出るとはいえ。
妊娠期間胎児のことまで考えないといけない、身体の自由が利かなさそう、趣味が思うように楽しめなさそう、仕事も思うようにできなさそう…となると、なんで生きてるんだろうなってなってしまいそうで。
血縁もこだわりないし遺伝子残したい気持ちもない。産む機能が身体に備わっているからと言って、必ずしも使わなければならないものでもないでしょう。
その先に生まれた喜びがとか言われましても、そこが想像できないんだよなぁ…
動物として、社会的にそれが当たり前と言われても困るよ…これだけ育児に協力しないだのなんだのネガティブなしらせばかりなのに。

と色々書きましたが、そこまで思うのになぜ養子を迎えてみたいのか。
(迎えるその子にどんな事情はあるかは知らないけれど、)
余っているところから迎えるのは社会的に意義のあることだと思うし、ひとを育てるのは自分の成長にもつながると判断しているからです。
あと産む負荷がないからロスが抑えられそう。
自分の血を引いた我が子だから頑張って育てる、はしたくなくて、
自分の責任で迎えた子だからリソース投下して良い形で世に送り出せたらいいなぁ…
くらいで育てたい。

血を引いてるから頑張るって重すぎて、そもそもたかだか血縁だし、それくらいでいい気になったり大きい顔したくないんですよ…
虐待とか毒親とか、産んだくらいで調子に乗るなという事案、世の中多すぎじゃないですか。産んだからって良い母親になれるわけでもないし、母親の適性があることと産むことは別ですし。
だったら、せめて血縁のバイアス減らしてフラットな関係でいきたいなあと思います。

理想としてはクラウドファンディングみたいに、一人一人が出せる分だけリソース提供して子供を育てるコミュニティができたらいいなあと思います。
人の成長にかかわるのは自分にとって意義があるのだろうと漠然と思っていて、で少子化が進むということは相対的に子供を支える大人の数が増えるということだから、合理的な形で「育てる」ということに参加する人が増える方法については社会的に検討の余地があるのではないでしょうか。

まあでも育てることについて今すぐ新しい形式ができるかというとそうでもなさそうだし、そこまで強く育てたいわけでもないので、配偶者ができる折に結ぶ婚前契約で、子供を望む際は養子をとる案が通れば、の話です。

そもそも、家庭をもってそのために頑張る、とか子供を生きがいに、とかそういうの分かんないんだよね…まず自分のために頑張ってくれってなるし、他者を勝手に支えにするのは甘えだと思ってしまう。
このあたりは、社会的に認められるかよりも、自分の基準に「家庭を持ち子供を持つことで一人前になる」というのがなくてそのあたりが本当にどうでもいいからです。
でも、パートナーや子供と共に暮らす方の人生もそう悪いものではなさそう、くらいには思っています。

それはそれとして、先ずは自分のレベルアップで出来ることをやっていくのが先です。
家庭を持たないにしても、子供を持たないにしても、稼ぎにつながるスキルを身につけたり、新しいことを学ぶ好奇心の灯を消さないこと、容姿を向上させること、諸々ひっくるめると常に自分らしくあるために必要なことをし続けないとな、というところで今日はお開き。