やるだけやったら出たとこ勝負

言い訳の出ないところまでやってやりたい、と思う意識そこそこ系会社員の記録。

家を出る前の心境整理②

心療内科に行ってきまして、眠剤は減らせそう・スルピリドとレクサプロは安易に減らしちゃだめで勝手にやめないでね、と言われてきました。
お守りと思って飲んでおくのがよさそうです。寛解したいので医師の言うことはよく聞いて守るぞ。

というわけで昨日から続く愚痴の二つ目。自分のご家庭の御事情をこうして白日の下に晒すのはスマートではないかもしれないが、ほーんこんなこともあるんやなぁ、と思っておいてもらえたら。
あと文字にすることで自分の整理にしております。あまりまとまりはないです。

2019年時点でうちは両親ともに60歳を超えていて、かつ互いに30代オーバーでの結婚だったから多分当時では遅いほうかもしれない。
母がいうには、その当時、女性の仕事なんてお嫁さんか学校の先生か一般職くらいしかなくて、ITの求人は目新しかったからそれにした、と。
で、結婚するつもりなんてなかったけど職場に父がいたから成り行きで父を選び結婚したそうです。

その当時の感覚のままでいくと、IT職は女性で妊娠していてもギリギリまで働かされるのが当たり前で、流産した人もいると。客先で働く、納期までに成果物を求められる仕事に就くのだから、今みたいなぬるい感覚ではやっていけないんだぞ、とこの前詰められました。労務環境や業務のスケジュール管理etc、昔と変わってると思うんですけどね、どうなんでしょうね。

とにかく選択肢が少ない中で働き、また妊娠出産育児でIT職から「降ろされて」(本人は降りたくなかった)、プログラムは指示通りに動くのに指示通りに動かない乳幼児の世話をさせられてマミートラックに乗せられキャリアダウンして面白くない人生を歩んできた人にとっては、私がレールから外れた(ように見える)人生をやっているのが面白くないようです。

おまけに、父方の実家(母から見た義実家)との折り合いも悪かった。
母は大阪の出で国立大卒、多分そこそこのエリートルート、父は福井県の漁村の出で高専→夜間卒でIT職。バックグラウンドが違っても出会うときは出会うのがIT職の醍醐味なんでしょうかね。母としてはカルチャーの違いがとてもしんどかったようです。
小学生の私をミスドに連れて行ってはしょっちゅう愚痴を聞かされていました。私以外に話せる相手がいなかったのかもしれない。

ああ、だからかな、今でも依存されている感覚があるのは。話し相手がいないから、私を手放せない。意識していないかもだけど、そうなっている。
自分と同じカテゴリーに娘を置いて、理解者でいてほしい、思い通りになってほしい、思い通りにならないから、期待した通りにならないから詰める。
詰められるのが怖くて私は本当のことが言えない。その繰り返し。
知ってた?あなたと私は違う人なんだよ。

……度々書いてる気がするけど、小学生の折にASDの診断が私も弟もおりてまして。
(その当時は弟のほうが問題行動が多く、弟に手がかかっていた)
母もASDかもしれないと受診して、結果違って、「私はお前らの仲間じゃないから!」と叫ばれたのを思い出した。
仲間だったらどうだったんだろう、違ったらどうなんだろう。診断名の前に一人の人なんだけど、そこは往々にして見落とされがちだなと今になって思う。

弟に手がかかっている時期に父は単身赴任していて、その時かな、離婚するしないの話が出たのは。
手のかかることは母に丸投げして自分はお金を稼いでいる。困っていることをメールしてもろくなレスポンスが返ってこない。家庭の問題に向き合わない。離婚したくなる気持ちもわかりますね。
ただまあ親権とか金銭的なあれこれ(当時母はパート勤めだった)で離婚に踏み切れなかったのだと思います。
適切なネットワークがあればこの状況変わってたんだろうな、それこそTwitterとかで母の支えになるようなコミュニケーションのとれる相手がいたら、楽になれてたかもしれない。
父は父で、「父親のやり方」がわかってなかったんだろうなぁ。成人してからやっと話ができるようになったからそういうことなのかも。
いずれにせよ、適切なサポートやロールモデルが身近にないと詰むというお話。

どっちかがどっちかに隷属するようなパートナーシップしか存在しない、対等に人と向き合うなんて無理でしょって思ってたのはこの頃で、その呪いは後にSNSでお友達を作るなどのイベントで解けていくのだった。ありがとうSNS、ありがとうTwitter

いまだに発言小町愛読して人の悪口とかあら探しを趣味にしている母親だと気づいているので、今以上に深くは関わっちゃだめだなあ、とふんわり思った。
人の悪口とか見るのは何らかの刺激になっているのだろうけどね。

何かに怯えながら暮らすのはもうたくさんだって何度も思っていたはず、泣いていたはずなのに踏み切れなかったのは「この状況も最悪ではないのかもしれない」という思い込みから。
最悪かどうかは人と比較して決めるものではなくて、自分で決めるものだよ。
例えばこのまま実家にいたら遺産相続で有利になるかもしれないとか、よくわからないふわっとした未来の話に思考が飛んだり、親孝行すべきなんじゃないかという現実逃避を始めたり。そういうのはいったん置いておいて、自分がどうしたいか、ですよねぇ……

母は自分を大事にしてこなかった、されてこなかった、容姿をけなされていた、趣味もない、話を聞く限りでは毒親育ちだった。
だからって私までそれに巻き込まれることはないでしょう。そんなものは過去にして朗らかに生き抜いてやりたいよ。
あなたの人生を再生産するために私は生きてるんじゃない。

とここまで書いて、そろそろ決別の時が近いようだ、と思うのです。
どうせどう生きても、どんな会社に勤めても、誰かから文句は言われるのだから。

今後の私のご予定ですが、しばらくはメンタル整えつつSESで鯖缶予定です。で、資格取得を並行してやっていきます。
SESを選ぶのがどうなのかは正直やってみないと分からないけれど、情シス時代の業務の中でも保守運用大好きだったので好きなことで経験値積めるのは悪かないと思っております。

おなかすいたからそろそろご飯食べてこよっと。今日はここでおしまい。